ブログなのだろう

趣味あれこれをつづる予定です

ニュージーランドビーフの話

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ステーキを焼いた。

ニュージーランド産のオーシャンブランドとされている赤身肉だ。約450gの堂々とした塊感。冷凍でまとめ買いしておいたものを先日開放したわけだ。

 

焼き方はこうだ。しっかりと鉄フライパン(我が家ではロッヂのスキレットを使用)を熱する。グレープシードオイルをたっぷりかけてなじませ、パチパチ弾けるぐらいになったところに塊肉をそっとのせる。表面にこんがりと焼き色がつくまで焼くのだが高熱のスキレットだとあっという間に焦げてしまうのでこの辺はしっかり見極めたい。両面しっかりと焼いたら火を止め、スキレットの蓋をして200℃に予熱しておいたオーブンに投入。ここで3~5分じっくり焼く。

 

ここの分数は何度か試したが、最初の焼きで高熱、短時間で色を付けられたら5分。中途半端な熱で時間がかかってしまったら3分ほど。これが素人ながらの結論となっている。今回は高熱でしっかり焼き色をつけられたので5分ほどオーブンに入れた。

 

そうそう、焼く前に肉全体にしっかりと塩を刷り込んでおくのも重要だ。ひくぐらいたっぷり使うのが経験上、旨い。

 

 

5分後、ブザーの合図と共にオーブンをオープン。オーブンをオープン、これは語呂はいいがかっこよくないのでラップに使うほどの韻ではない。スキレットの蓋を開けるとぶわっと湯気が出るが、それほど肉々しい香りがしないのは脂分が少ない赤身のせいか。

 

カットするためにまな板に。ここでざっくり肉を切るのだが注意してほしいのは肉汁及び、血が結構でることだ。写真のようなオシャレな木の皿みたいなもので直接食卓にって思っても血まみれで汚れてしまう。なのでまずまな板で切ってから木の皿に乗せることをおすすめする。

 

さてカットが終わればミルで挽きたてペッパーをまぶし、いよいよ実食。脂身の少ない肉はいわば、まぐろの赤身。ベタであってもわさび醤油は鉄板である。それでも最初はそのまま味わいたいのが心情。やわらかいとは決していえない歯ごたえのある食感、だがそれこそがステーキ肉の真骨頂。表面にこれでもかと刷り込んだ塩が肉本来の野性味を大いに引き出している。まさに噛むほどに全身に轟くグレートテイストだ。

 

 

原始の時代、祖先が肉を食ってたどうかはさておき、遺伝子レベルで興奮するという表現をしたくなるのはやはり牛肉なのだろう。こんなストレートな「焼いた牛肉」に赤ワインでマリアージュなんて発想はどうにもしっくりこない。なにぶん、ソースをこしらえていない所がその最たるものだろう。一応、小さいワインセラーに置いてあるロバートモンダヴィカベルネソーヴィニヨンを抜栓したのものの、ソース代わりになるわけでもなかった。

 

「ビールじゃね?」

 

逡巡している私に見かねた妻が提案。それも最適解であるかはわからなかったが、ビールはいつだってうまかった。だって夏だもの。ただ、「焼いた肉」の最高の食べ方への探究心は何度目かにおいて、やっと「あくなき」ものになった。

2缶目を取りに行く妻の後ろ姿を眺めながら、リベンジを誓う真夏の夜であった。

 

 

ゴーヤチャンプルーの話

 

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ゴーヤチャンプルーを作った。

趣味で家庭菜園をやっているのだがその知識は昨年、一年間週末農学校に通って培ったものだ。同学校では一年の集大成として実際のマルシェを開き自分たちで育てた野菜を売る。先日、私の後輩である1期下の生徒たちが京都でマルシェを開催していたのでそこでゴーヤとジャンボにんにくを買ったのだ。

 

ゴーヤは昨年、自分も挑戦していたがキュウリの苗に近すぎたのか生育が悪く1本しか収穫できなかった。なので後輩たちが立派なゴーヤを作っている姿に嬉しく思えた。パンパンに育ったゴーヤを持ち帰り、早速調理。ゴーヤと言えばこれしかレパートリーがない。チャンプルーだ。

 

 

ゴーヤを縦に真っ二つ、種とワタを取除き厚めにスライス。水にさらして置き、下味をつけた豚を軽く炒める。ゴーヤを加えさらに炒めて溶き卵を投入。フライパンの温度を上げて一気にたまごが細かくならないように加熱。水をしっかり切っておいた豆腐を手で千切りながら加えさらに炒める。最後は追いごま油、鰹節で完成だ。

 

我が家では休みの者ないし、大幅に先に帰った者が晩御飯を作る不文律がある。妻より先に帰宅した私が晩御飯を担当するのは必然の理。ちょうど遅れて帰宅した妻が、シャワーを浴びて戻ってきたところで食卓に。さあどうぞ。

 

 

「わあ、おいしそうやん。」

 

 

それはそうだ。奇をてらわない王道の味付け。手早く段取りよく、熱の入り方にはしっかり意識をしている。さあ、早く食べるんだ。

 

 

「まずはビール。」

 

 

糖質75%オフの定番ビールに食指が伸びる。風呂上がりだ、無理もない。しかし刻一刻とチャンプルーも冷めていっている。プシュッ!プルタブ開栓。

 

 

「あ、グラスで飲もう。」

 

 

何をやっている。いや、ビールはグラスで飲むが正論。しかしあくまで正論であり、正解ではない。缶のままのダイレクト感も時には大事だ。時間は巻き戻らない。食べるのが先ではないか。

 

 

「ぷはーっ!」

 

 

いい飲みっぷりなのはいいが、ゴーヤはよ。いや、これは焦れた方が負けだ。長期戦の様相を呈している。早く食べろとせかすほど野暮じゃない。

 

 

「冷蔵庫にトマト残ってなかった?」

 

 

そう来たか。はじかれたように立ち上がり冷やしトマトをスライス。急いでいても手抜きはできない。オリーブオイルを回しがかけ、ミルで挽き立てのペッパーを散らす。うちのペッパーはGABANのブラックに朝岡スパイスのカラフルぺッパーを加えカスタマイズしている。肉だけでなく、野菜も旨い。

 

 

「ゴーヤめっちゃおいしいやーん!」

 

 

なむ?トマトで陽動させておいてゴーヤを食しているではないか。そのリアクション待ちだったのにどうしてくれよう。こうなったらトマトは先にオレが食らう。

夜のとばりはまだおりかけたばかりだ。

 

 

 

麺屋いっちょうの話

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先日の連休に友人と海へいってきた。

その帰り、宝塚在住の友人を家に送る際、晩御飯として立ち寄ったのがこの店『麺屋いっちょう』中山寺店だ。

 

連休のロードサイドの外食店はどこも大行列。なか日の日曜という事もあり、当初、びっくりドンキーでハンバーグをと思っていたが溢れんばかりの大渋滞なので回避。その近くにラーメン屋があるとのことで急遽来店した。

 

海で遊んで疲れた身体、高カロリーを欲するは必至である。ハンバーグの代替えとしてラーメン・チャーハンどんとこいである。店内は適度に混んでおり、すぐに座れる席も見え、一安心。テーブルに案内されるや否やメニューシートに手をかける。なるほどラーメンも推しだが、「まぜそば」もウリの店のようだ。だがやはりラーメンはスープを飲みたいのが心情。新メニューらしき別紙で紹介されている「煮干しラーメン煮卵付き」をチョイス。

 

「いらっしゃいませ!」

「煮干しラーメンを2つ。あ、煮卵付きでね。」

「ありがとうございます!」

 

などとやり取りの後、耳なじみのない言葉が飛んできた。

 

「ラーメンかまぜそばご注文のお客様はごはんとから揚げ食べ放題なのでぜひお召し上がり下さい!」

 

だと?キムチとメンマ取り放題の間違いじゃないのか?

百歩譲って「まぜそば」の追い飯にごはん無料ならわかる。あまつさえ最初からどんぶり飯がただ?さらにから揚げも。ラーメンは当然関西での標準価格だ。完結してしまうぞ、晩飯が。とはいえ、これこそ据え膳食わぬは男の恥。お茶碗片手に業務用大型炊飯器を開ける。まぎれもない白飯。相撲部屋よろしくたんまりと白飯が炊き上がっている。ごはんをよそい、から揚げを別皿に。さらに生刻みにんにくまで常備している。

 

 

どう使うんだ?ペースが乱されそうになる。しかし後々生刻みにんにくだけを取りに帰るのはあまりに愚か。とりあえず入れて置こう。両手に即席から揚げ定食を握りしめテーブルに戻る。まずはごはんだ。腹が減っている。米をかきこむ。やわらかすぎず固めでもないやわらかめな質感。OKラインだ。から揚げだ。トングで掴んだときはそれほど感じなかったが箸ではさむとわかるその固さ。これは明らかに固い。硬化している。ひと口で頬張ると口の中を切るんじゃないかと言わんばかりのごつごつとした鋭利な衣。カリカリではない、バリバリいわせながら咀嚼する。しっかり揚がっているせいか香ばしさはあるものの、味は希薄。

 

長時間から揚げ置き場にあるせいなのか、またそこでヒーターのようなもので冷めないようにしているせいで熱を持ち油分がなくなっているのかひたすら固く、たんぱくだ。つまりジューシーではない。となると通常のから揚げのようにごはんが進む代物というわけではない。生刻みにんにく、やつを使うか。

 

薬味のごとくそっとから揚げに添え、パクリ。期待していた解ではなかった。ただにんにくは匂いが濃いのでごはんはすすんだ。その勢いでなんとかごはんとから揚げを完食。ラーメンを待つ。

 

 

友人はというとごはんもから揚げもとくに手をつけていない。そしてラーメンの登場。煮干しのいい香りがすぐに鼻先にたどり着く。テーブルに置かれると友人はおもむろにから揚げをラーメンに投入。気でも狂ったか。箸でスープに浸すように麺の奥に入れている。浸す・・・よう?

 

 

カラッカラに揚がったから揚げはしっかりとラーメンのスープをよく吸っているように見えた。これが解か!?しっかりスープに浸かったから揚げを取り出し、から揚げをかじる友人。

 

 

「・・・うまいんか?」

「別に。」

 

 

暑い暑い真夏の夜が更けていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

祇園祭の夜、菊水ポークカツレツの話

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昨夜は祇園祭り、宵山であった。

京都市東山区に移住して2度目の祇園祭。歩いてすぐに行ける距離なのだが昨年は暑さのあまり冷房完備の部屋から出ること叶わず、祭りは不参加であった。

 

今年は妻の野暮用帰りを迎えにあがるため祇園の花見小路に出掛けたのは夜の7時。高い太陽が沈みかけ、暗闇をまといだすと同時に祭りの熱気もいよいよ帯びてくる頃合いだ。行き交う浴衣姿の外国人を尻目にこちらはノースリーブ姿でも汗だく。遠いところから来ていただいたのにこんなに暑くてすいません、と謎の罪悪感を感じながら石畳を闊歩する。

 

妻と合流し、野暮用を済ませた後は祭りのお楽しみ、露店グルメに舌鼓を打とうではないかと四条河原町を目指す。京都の夏特有のセイロ蒸しのような湿度の暑さ、連なる黒山茶山の人の波は例年と変わらなかったが、お楽しみの露店、屋台の類が見つからない。

 

「あら~、店あらへんなあ。」

「ほんまやな。」

「どないして祭り楽しみやんのかなあ。」

 

などと呑気に話していると、妻の職場の仲間から連絡がきた。何やら菊水で合流しませんかとのこと。菊水とは四条大橋の北東角にある老舗の洋食屋ビルだ。夏はルーフトップで鴨川を一望できる往年の名店。しかしルーフトップは行ったことはあるが肝心の洋食を頂いたことがない。露店出店もないことだし祭りの夜に洋食ってのもオツなものかもしれない。

 

 

入口に一番近い、丸テーブルに妻の仲間たちは陣取っていた。お客の往来の多い出入口なだけ室内にもかかわらず蒸し暑く扇子片手に出迎えてくれた。露店でビールを飲めなかったのでまずはジョッキ大。最近あまり見なかったのでそのズシリとくるサイズ感がうれしい。続いてメニュー。ビーフカツレツ、オムライス、チキンソテーなど定番の洋食メニュー。どれもうまそうだ。選んだのはポークカツレツだ。ビーフよりも値ごろ感があって、しっかり脂身も食べたかったところにカツレツとくれば誰でも惹かれる。

 

まずはスープ。白いコーンポタージュ。こっちに向かってやってくる際、頼むから冷製スープであれ、と願掛けをしたがしっかりアツアツのスープであった。キンキンに冷えたビールでクールダウンした身体を半液状のスープで丹念に喉元から再加熱された。とろみの割りにあっさりとした味わいで命拾いした。お供のサラダをかきこみ、メインのディッシュがやってくる。

 

ポークカツレツだ。カツレツの下に敷かれたパスタ麺が洋食屋っぽくてアガる。ナイフはあるがすでに一口サイズに切られている。その真ん中をフォークでぷすり、口に運び入れる。想像よりも噛み応えのある食感、ヒレ肉か。特に観察せずに空腹に任せて放り込んだが、この上にかかっているソースが以外にもカレーだった。正確にはスパイスソースというべきか。宿命的にごはんに合う香り。ライスを選んでいたのも導きか。たんぱくな肉質にコクのあるスパイスソースが実にマッチしているが、脂分を欲しているのも事実。そうなればおのずと端の肉に期待がかかる。

 

 

一番端っこの肉を頬張る。

「ジュワッ!」やった。これだ。

脂がはじけ、とろけだす。ライスで受け止める。

祭りの夜は今はじまった。

 

 

 

 

 

 

 

栗ぜんざいの話

 

 

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お中元で栗ぜんざいを頂いた。

しかも「冷やし」だ。もともと私は甘味に目がない。饅頭、団子、おはぎ、アンコ関係はなんでもあり、餅も同じく大好きだ。かといって洋菓子がダメというわけではない。生クリームたっぷりのパンケーキも並んで食べに行くのも苦じゃない。

 

 

さて今回は会社単位でのお中元ということもあり、小分けの和菓子が社員に配給される形式をとられた。最中、ようかんなど定番和菓子がラインナップされている中から選択できる寸法だ。そこにこの「冷やし栗ぜんざい」だ。

 

届いたその日の午後に配給が始まったので当然「冷や」されていない。中に何が入っているか予見できないからだ。誰も責めることはできない。この「冷やし栗ぜんざい」なるものは冷やされてこそ本来のパフォーマンスを発揮できる代物。かなりのネガティブアドバンテージが予想される中、選んだ。

それは期待値からではなく、未知への好奇心。火中の栗を拾う心持だ。

 

 

ここが断っておくが、それを社内の冷蔵庫で冷やし、後で食べるなどしない。敵前逃亡を意味する。何しっかり味わっとんねんと思われるだけでなく、配給を担当した事務員を愚弄することにもなる。紳士的に即食すのが筋だ。

 

紙パッケージを外し、透明のフィルムをはがすとピンッとカップ一杯に張ったぜんざいがある。一分のすき間もない様子からこれはようかんのように固いハードタイプの和菓子で名ばかりの「ぜんざい」を背負わされているのではないかとよぎる。

 

 

迷わば動け、スプーン一閃。

 

思いのほかの肩透かし。スッとスプーンが通る。これはしっかり半液状の「ぜんざい」であった。しかも絶妙のドロドロ感というか、パンパンに張った透明フィルムをはがす衝撃で中身がこぼれるどころか、微動だにしなかったのにスプーンはするりと入る。いやはや恐れ入った。

 

味だ。ミニなスプーンですくいあげひと口。甘い。甘さがすごい。甘味である。アンコは甘さの配分でうまさが決まる。いささか甘さ先行か。アンコの粒も至極やわらかい。スプーンの先に接触を感じる。そうか、栗か。外装写真同様の黄色い栗が隠れている。こちらもすくいあげ、食す。適度な歯ごたえ、このぜんざいの中でいいアクセントになっている。ひとつだけなのが残念だ。

 

しかしこの甘さ。いや、甘いのがぜんざいだ。ユニバーサルテイストに仕上げるなら甘さは多少過度に演出するのが甘味の役割。仕方ない。そう思い再び外装パッケージに目をやる。背筋に軽い震え。「冷やしぜんざい」と書いてある。

 

 

冷やされてこその真骨頂、そう知っていて選んだことを忘れていた。この甘さ、やわらかさ、冷やされた時にどれほど化けるかを瞬時に想像させられ、悪寒すら覚えた。

そう、最後には私自身が冷やされていたのであった。

パクチーの話

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家庭菜園を趣味にしている。

現在は結婚をして住まいを京都市内に移しているので畑は実家の庭を借りている状況。マイナー駅からさらに離れている立地も手伝い少々広めの庭を開墾し、ほ場としているのである。

 

農業への興味は3年ほど前からで、知識ゼロの状態からとりあえず何か資格取って箔をつけようと何を思ったか「農業技術検定」なるものに挑戦。3級ということもあって2~3カ月間の睡魔との闘いを制するだけで、なんとか取得した。が、しかし当然、紙面上の知識では全く持って野菜は育てられない。なにしろ土を耕したこともなければ、肥料を買ったこともないのだ。

 

それから一旦、農業から手をひいていたが京都で週末農学校という時流感抜群の教育機関を発見。すぐさま1年間のカリキュラムを受講。学生時代以来の苦しい座学と晴れやかな畑での実習を経てそれなりの農知識を得たのであった。

 

その学校では無農薬有機栽培を命題としていたので自然と意識はナチュラリズム化し、ロハスな暮らしを夢見る中年が出来上がってしまった。そのため家庭菜園でもきっちり米ぬか油かすを使った有機肥料、無農薬の栽培計画を組んでいる。

 

さて今年もまだ寒い2月に土づくりをし、3月に種をまき、葉物野菜は何度か収穫をしている。ただ完全無農薬栽培をいきなりほ場としての歴史のない庭の土地に施したものだから生育はまちまち。おまけに虫がひどく付き、幼い苗は食い散らかされてしまっていることもざら。そんな中たくましく根を伸ばし、しっかり葉を広げ花を咲かせている作物がある。

 

パクチーだ。

そもそも香草の類は力強い。それは昨年までの農学校でも学習済みだ。あれだけの匂いを放つわけだから虫も苦手になるはずという話。最上部の写真はパクチーの花である。もりもり育つので食べきれず薹(とう)が立ってしまい遂には花まで咲かせてしまったのである。

 

採れたてのパクチーはみずみずしくフレッシュでさわやかな香りが鼻に抜ける。

しばらく冷蔵庫に保管したパクチーも充分香り高くその性能は保たれているが、やはりフレッシュ感は希薄でキツく感じる方もいらっしゃるかもしれない。パクチーが苦手な方はぜひともフレッシュな採れたてを試してもらいたい。

 

 

ともあれ、パクチーやバジルなど香草は採って配るほど生育しているので我が家のメニューにもしばしば名バイプレーヤーとして登場する。昨日もバジルを使った鶏ささみソテーを晩御飯のメニューとしてテーブルに並んだ。

その話はまた次の機会にしよう。

袋ラーメンの話

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夜分も遅く妻が帰ってきた。

サービス業に従事する妻は急な来客応対で帰宅時間が一定しない。

一方、出先で食事を済ませ帰宅していた私は半目状態でぼんやりテレビを眺めていた。我が家の晩御飯のローカルルールとして、大幅(ここ重要)に時間のある者が食事の用意するという暗黙法がある。

 

「ただいま。」

「おかえり。」

 

声色がすでに空腹を訴えている。

暗黙法に従い、今日の私はセーフゾーン、即ち食事を用意しない側にいると認識している。しかし、有無も言わせない緊迫感がある。寝転んでいる場合じゃない。半身になってすぐに動ける状況を作る。

 

「ごはん食べてへんの?」

「めちゃくちゃおなか減った。昼も納豆しか食べてない。」

 

やはりそう来たか。冷蔵庫内、キッチン下収納の残存食料を思い出す。

卵に、卵、、、。だめだ、会話はレスポンス。間が空けば次の言葉を放り込まれてしまう。考えるより行動しかない。

 

「なんか食べる?作るで。」

「え、うーん。なんかあるの?」

「いや~あるやろ、確か卵に、、、」

 

返す言葉に合わせて立ち上がり、キッチンに進軍。攻撃は最大の防御、これで平然と食料を捜索できる。冷蔵庫に厚切りハムを発見。キッチン下収納にはパスタ、レトルトカレー、そして袋ラーメンがあった。

 

 

 

これだ。「チャルメラ豚骨バリカタ麺ニャ」だ。

まだ食していなかったが広瀬すずちゃん宣伝ということでストックしておいた代物だ。先に食われるのは癪だが夫としての名誉を守るためだ。早期投入するしかない。

 

袋ラーメンなら腕に覚えありだ。手際よく麺を茹で、卵とハムを強火でカリッと焼き、低温で黄身を蒸らす。テーブル胡椒と岩塩で軽く味付けしたら、ラーメン・オン・ザ・ハムエッグの完成だ。

 

袋ラーメンのスープは完成されているが、ハムの脂でコクが増しさらなる旨味へと昇華しているハズ。この傑作をあっさり明け渡すのにはいささか勇気がいたが、すでに腹をすかせた妻はテーブルにビール片手に鎮座している。

 

「おまたせしました~」

 

自信作ゆえに涼しい顔でサーブ。空腹にこの攻撃的なまでの豚骨臭、到底たえられるものではない。一息置く間もなくいきなりハムをがぶり。袋ラーメンに流儀はない。好きに食べればいい。そして麺をすするよどみのない音。

 

「うまっ!」

 

それはそうだろう。レベルの高い袋ラーメンのスープにテーブル胡椒のかかったハムをガーリックオリーブオイルで炒めた脂がINしているのだ。瞳を閉じ、ゆっくりとその場を立ちさろうとした刹那、続く言葉が。

 

「この麺うまっ!」

 

どういうことだ。スープではない?

勢いを増した麺すすりの音が止まらない。

そうか、「バリカタ麺ニャ」だったか。急がないと間に合わない。麺の進化を確かめなければならない。あくまでその気なしに近づかなくては。

 

「へ~そうなん。ちょっと頂戴。」

 

言葉の安穏さとは裏腹に、強い意志で箸を拝借。

すくいあげただけでわかるバリカタ感。そのまますすりこむとまず予想通りのスープの仕上がりが確認できる。コクがあり、しっかり豚骨している。そして麺だ。コシがあるともまた違う、バリカタ麺の歯ごたえ。これはもう博多の屋台ではないか。ええ、行ったことありませんが。

 

「あ、うまいなあ。」

「せやろ。」

 

取り乱す心そのままに箸とどんぶりを返す。袋ラーメンここまできていたか。

不思議な喜びと焦りに苛まれながら夜は更けていくのであった。